アメリカ金融危機と人間の哀しさ(2)

Last Updated on 2012年7月5日 by admin

前回(1)は、サブプライム・ローン、Mortgage Backed Securities、そしてCredit Default Swapとで、どんどんお金儲けとリスク・テイキングが進行していった過程をまとめてみました。できあがった一大システムは、不動産価格が上がり続ける限りは、システムの中の誰もがハッピーでありえるしくみだったようです。ローンの借り手も、ローン会社も、ウォール・ストリートの投資銀行も保険会社も、そして投資者も、つりあがる不動産価格のおかげで、魔法のように繰り出し続けるモノとカネに浸ることができました。みんながハッピーなしくみでは・・・

モーゲージ・ローンの借り手は

本当なら収入面でも頭金面でも家を買う力がない人も、家が買えました。しかも、ローン会社はローンを発行したいがために、家の値段以上にローンがおりる(つまり家を買うことでお金がもらえる)というようなインセンティブまで出すこともあったそうです。Negative Amortizationといって、元金の返済どころか、月々の利子さえも払わなくてよいローン(その代わりローン残高はどんどん増えていくローン)などもつくられました。

ローン・オフィサーは

ローンを審査し発行する担当者は、たとえ緩い審査、場合によっては借り手の収入などを偽ってムリにローンを発行してもお咎めを受けないどころか、そうすることで報酬はどんどん膨れて行ったそうです。発行するローンの質によってではなく、発行するローンの量によって報酬やボーナスが出されたそうです。

ローン会社は

ローンを発行するモーゲージ会社や銀行は、発行したローンをすぐにウォール・ストリートの投資銀行に売り飛ばすという構図でした。ローンを発行しても、その後抱え続ける必要はなく、つまりローン発行にまつわるリスクも抱える必要がなかったわけです。たくさんのローンを発行するだけ発行し、それにより多額の手数料を稼ぐだけ稼いで、発行したローンは売り飛ばしてそこでも設けるというしくみです。

ウォール・ストリートは

ローンを買ったウォール・ストリートの投資銀行は、たくさんのローンをプールし証券化したものやCredit Default Swapを、ペンション・ファンド、ヘッジ・ファンド、他の国の中央銀行など世界中の投資者にどんどん売りました。どんなにそれが儲かる構図であったかは、トップ経営者の9ケタあるいは10ケタの報酬を見れば一目瞭然です。

 

ところが、不動産市場が軟化し、価格が下がり始めました。「数年後、家が値上がりしたらリファイナンスすればいい」、「数年後、値上がりした家を売ったお金で、ローンを返せばいい」という皮算用が外れたり、不況で仕事を失ったホームオーナーがではじめました。ローンを支払うことができなくなったり、できてもローンの返済を止めたり、ローンも家もそのままにWalk awayするようになりました。デフォルトが波のように押し寄せました。

サブプライム・モーゲージのMortgage Backed Securitiesや、関連のCredit Default Swapを抱えていた Lehman Brothers、AIG、Bear Stearnsなどの金融機関は巨額の損失を抱えることになりました。これが世界経済を巻き込む恐慌に及んだことは誰もが知るところです。

不思議なのは、ウォール・ストリートの頭のいい人たちが、このような状況を予想だにしなかったことです。知識も経験もパワーもあるすごい人たちが、もともと借りる力のない借り手に発行されたモーゲージ・ローンをベースにつくられた投資商品や派生商品のリスクをまるで見ようとしなかったことです。たしかに証券化された商品や派生商品は、「複雑」ですぐにリスクが測れないものであったでしょう。でも、天下のウォール・ストリートのバンカーたちが、見る目を持って見極めたなら、判断できないほどのものではないのじゃないでしょうか。

借りる力もないのに借りて家をかった人や、サブプライム・ローンのひどい条件をよく理解もせずローンを組んだ人の中には、そのリスクを判断する能力がなかったり単に無知だった人もたくさんいたでしょう。格付け会社がつけたAAAの格付けを信じて、投資をした投資者もいたし方ないかもしれません。でもウォール・ストリートのエリートが揃いもそろってそのリスクを見なかったのはなぜでしょう。

番組でインタビューを受けていたベスト・セラー”The Big Short”の著者Michael Lewisは「Mass Delusion(集団的妄想)」という言葉を使っていました。そのリスクを見なければ、どんどん儲かる、どんどん報酬がもらえる・・・だから見なかったのだと。そのような商品のリスクは、ある専門家の言葉を借りれば「年収$40,000のインターンでも、わかるようなもの」であったにもかかわらず、何百ミリオンも稼ぐような専門家も経営者もそのリスクを見ようとはしなかったのです。それは、「Criminal Neglect(過失的怠慢)」であり、気づく努力はできたはずなのに敢えて見ないことを選んだのだと番組では解説していました。

Lehman Brothersが破綻するまでの期間、その経営の危うさを隠すために悪質な会計操作もされていましたが、同社の会計監査をしていたEarnest Youngも目をつぶりました。Lehmanが倒産する直前の何ヶ月かの間、Lehmanの建物の中に、政府機関であるSECとFederal Reserveとの職員が派遣されて監視していたとのことですが、彼らも問題を見ようとしなかったのか見えなかったのかはわかりませんが、とにかく「見ることがなかった」のです。

リスクをとって失敗しても、失うものもなかったというのも大きな要因でしょう。リスクをとりすぎて巨額な損失をだしたトレーダーも、そのような人のうえに立つシニア・オフィサーも、損失を税金で穴埋めしてもらった経営者も、その損失がゆえに給料を削られたり報酬を削られたりするどころか、どいういうわけか会社を辞めるときも何十ミリオン、何百ミリオンものリタイヤメント・パッケージや退職パッケージをもらって辞めているのです。リスクをとって当たれば報酬、リスクをとって損失出しても報酬・・・。だれがリスクをとらないでしょうか。だれが、リスクに気がつこうとするでしょうか。

悪質な会計操作や極度の経営管理の不行き届きは「犯罪」であると、多くの専門家が認めているにもかかわらず、リーマン・ショック以降現在に至るまで、刑事告発は一切されていないというのも摩訶不思議なところです。こんなにも世界を巻き込んでも経済破綻を引き起こしたことに対して、誰ひとり「責任追及」されていないというのは不思議ですよね。

リスクとリターンは一緒に動くもの。高リスクなら高リターン、低リスクなら低リターンというのがフツウの人に当てはまるルールですが、ウォール・ストリートでは、リスクをとれば何でも高リターン、しかもリスクの結末は自分で請け負う必要はありません・・ということらしいです。

ウォール・ストリートのお金持ちの気持ちは私には知る由もありませんが、聖書のことばをふたつ思い出しました。

・・・彼らは見てはいるが見ず、聞いてはいるか聞かず、また、悟ることもしないからです。(マタイ12:13)

考えてみれば、もともとの意図は必ずしも悪くないけど、やっているうちに当初の意図は見失って、だただた慣性でやり続けてしまう・・・なんてこと、自分にもある気がします。家族を養うために働いているわけなのに、仕事ばかりが一人歩きして家族関係を壊したり・・・子どものためによかれと思ってさせる塾や習い事が、呪縛のようになって子どもを傷つける結果になったり・・・。見えているつもりが、実は見えていなかった・・・真っ只中にいるうちは、見えていないことさえ見えていなかったなんてこと・・ありませんか?

そう考えると、このCredit Default Swapにしても、それに似たデリバティブや先物取引なども、もともとの意図はよいものです。将来の損失に備えて買っておく保険のようなものなんですから。ヘッジファンドの「ヘッジ」とは、もともと「垣根」のことで、リスクに対して垣根をつくって守るという意味でした。もともとよいものだったのです。ところがそれを、まるで反対の意図を持って、投機的、つまり賭けに使うようになってしまったわけです。もともとの意図を見失ったのですね。そして、そこからは慣性で走り続けるから、悪い効果が雪だるま式に積みあがったのでしょう。マリファナが医療措置にも使えるが快楽・堕落にも使えるように、そのもの自体は悪くもよくも使えるというものはたくさんあるのかもしれません。要は使う者次第・・・

問題は、「方向性」ですね。最初の的外れはほんの些細なものでも、慣性で走るうち方向がどんどん元のあるべき軌道から外れてきてしまいます。慣性に慣れすぎて、外れていることも見えなくなり、ただただ走り続ける・・・うまくいっているうちは、まるで自分たちが王様のような勢いです。もうひとつ聖書の言葉を思い出しました。

そのうちに彼らは言うようになった。「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。」(創世記11:4)

ここにでてくる塔は、「バベルの塔」のことです。バベルとはバビロンの別名ですが、バビロンの町は、政治的放漫、迫害、罪、快楽、妄信、富、滅びなどの象徴でした。ウォール・ストリートとバビロン、2000年初頭と創世記の時代、遠く離れているようでいて人間の愚かさは共通なのかもしれません。

ひとごとではありません。もしも私が、もっと頭がよくて学歴もあってコネもあって、ウォール・ストリートで案外成功していたりしたらどうでしょうね。リスクをとったら何百ミリオンももらえる立場にあったら、きっと同じようになっていたかもしれません。人間なんて弱いものですからね。同じ罪を犯していないのは、そういうチャンスがないだけというだけかもしれません。

ただ、何百ミリオンという報酬をもらいつつ、そのようなリスクを見ないまま、何百ミリオンというパッケージをもらって会社をそのまま去っていくトップ層は、何を見ざして、何を追って生きているのかな~とふと思います。ちょっと私には想像もつきませんけど、1年に何百ミリオンも稼ぐなんて、そんなにたくさんお金があっても死ぬまでに使い切れないだろうけど、それでもまだお金が欲しいのかな。Wall Street Greedとは、私のようなフツーの人間が持つような物欲とか金銭欲というものではなくて、バスケットの試合で誰が何点入れたかを競うようなナンバー・ゲームなんでしょうか?何を求めているんだろう、そういう人たちは・・・

Vanguard社の創始者John Bogleが彼の著書”Enough”の冒頭で書いていたことを思い出しました。あるヘッジファンド・マネージャーの開いた盛大なパーティーで、客のひとりが同様にそこに客として居合わせたJoseph Heller(現代文学の代表作”Catch-22”の著者)に冗談半分で言いました。「このヘッジファンド・マネージャーは、君が”Catch-22”でこれまでに稼いだお金より大きい額を一日で稼いだそうだよ。」それに答えて、Hellerはこう言ったそうです。「そうだ、でも僕は彼が一生手に入れることのないものを持っているよ。それはenough(満ち足りること)だ。」聖書にもこうあります。

しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。(Iテモテ6:6)

「満ち足りる心」だけはどんな状況にあっても持っていたいものです。見ているつもりで的の外れた方向を見ているのでなく、的に焦点を合わせていたいと思います。でもこれが難しいことで。一日24時間のうちでも、すぐに的が外れて跳んでいってしまう自分がいまして。朝起きて聖書を静かに読む30分間、私にとってこれが、あるべき場所に帰る「的定め」のときです。

聖書でいう「罪」は英語では「sin」ですが、これは聖書の原語ギリシャ語では「ハマルティア」であり、本来は「的外れ」という意味です。わたしたちが生きていくにあたって、的があるべき場所から外れたとき、わたしたちは疲れるのです。「痛み」が体を守るための「警告」であるように、「疲れ」はわたしの心をあるべき場所に戻すための「警告」だと思っています。疲れたときはリセットするとき。あるべき場所に帰郷するときだと思っています。聖書には帰郷するための知恵があふれるほど詰まっています。

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2 comments

  1. これまでも拝見してきましたが、今回初めてコメントさせていただきます。前回からの2回のレポート、とても分かりやすくすばらしかったです。これまでは「持てる1%」に対する怒りや妬み、嫌悪感しかありませんでしたが、今やっと、それを乗り越えられた気がします。他人を恨んだり、既に起こったことに怒っていても、何も生まれません。それに気づきました。今私が生かされている、この現社会の実情を受け入れ、じゃあこれから、私はどうやって生きて行こうと考え、建設的に進みたいと思います。

    1. うれしいコメントありがとうございます。そうですね、自分以外のものはなかなか変えられませんから、受け入れて生きていくしかないものも多いですね。でも自分の心は、変えたいと願うとき、変えられるかもしれません。また、聖書で恐縮ですけども、この言葉が思いつきました。
      力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。
      いのちの泉はこれからわく。 (箴言5:23)

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