夏休みですね!(場所によっては、6月初旬ですでに夏休みに入って久しいところもあるでしょうが。。) 学校も学年末は通常の授業の代わりにいろいろとイベントが多くなるし、日本への帰国や旅行の予定も話題に上りますから、雰囲気はとってもバケーション! しかしながら教育熱の高いここLAサウスベイでは、楽しいばかりが夏休みでもありません。学校のないサマーを満喫する!という理想はあるものの、実は「夏の間に次の学年の準備をする」、「夏の間に今までできていないところを特訓する」とお勉強スパート計画も着々と進んでいたりします。
休むヒマもない・・・?
以前住んでいたバージニアの中サイズの大学街は、それなりにインテリ層も多く教育熱もそこそこ高く学校のレベルもよかったですが、よく日本語でいうところの「塾」というのは存在しませんでした。KumonやSylvanはありましたが、あんまり通っている人は多くありませんでした。小学校のうちから塾やチューターに通うというのは、一部の人だけの話だったように思います。
ところが、今住んでいるLAサウスベイ地区はまったくお話が違います。日系、韓国系、アメリカ系の塾がそこここに軒を連ねています。韓国系の塾なんかは、小学校が終わる時間に、バスで子どもをピックアップに来ることもあります。英語、算数の基礎科目に加えて、ソーシャル・スタディやサイエンス、それに日本語にまで塾やチューターが存在し、子どもたちはそれはそれはいそがしく、これら(とスポーツやその他の習い事の場所)を行き来します。これまで塾通いなど無縁だった我が家も、だんだんとその波に呑まれていきました。塾には行かないとガンとして拒否している息子は、成績もよいのでまあいいかとそのままですが、下の子はのんきな性格でちょっとばかりヘルプが必要だとあれやこれや試しています。でも疲れるんですよね。あっち行ってこっち行って。いろんな人がいろんなこというし、いったいどこに的を定めたらいいのか。何が本当にこの子にとっていいものなのか。私も主人も塾とは無縁で育ったタイプの人間で、そもそもそのような教育産業に対しての免疫もなく、どうもお尻の座りが悪かったりしまして。のんきでゆったりした性格の彼女のよいところをつぶしてしまいそうな気がしたり、いやいややっぱり基礎学力は大事だからこれこそが親の愛情と思ったり・・・。つまり、私の的が定まっていないので、フラフラしているわけです。
でも、なぜそもそもそんなに頑張らなきゃいけないのでしょう。頑張った先には何があるのでしょう。いい大学?、いい仕事??、いい生活??? 確かに、アメリカも日本も、大学ぐらい出ておかないと就職もままならないというような概念が浸透していますね。生まれたら、キンダーにあがる前にはある程度の読み書きの準備をし、小学校行って、中学校行って、高校行って、大学行って、もしかしたら大学院も行って、就職して、キャリアパスを見定めて、精進して成績あげてキャリア・ラダーをひたすら上っていく・・・そういうルートを多くの人が「行くべき道」として思い描いていますね。そしてそのルートをみんなと同じ速さで行くのでなく、一歩一歩先を目指すという傾向もあります。
先へ先へ・・・
だいたい、高校のAPクラス(APはAdvanced Placementの略で、高校でとる大学レベルの授業です。APテストに合格すると大学レベルの単位が取得できます)というのは私はどうも本当は嫌いです(でも、息子にはAP取ったほうがいいんじゃない・・とsuggestしている矛盾!)。大体、なんで目の色を変えて、高校で、大学レベルの授業をとらねばならないのでしょう。高校であったペアレント向けオリエンテーションに出席した折には、「APをたくさんとれば大学入学にも有利ですし、そのうえ、大学に入ってからももしかしたら3年で卒業できるかもしれません。最近の大学の学費はとても高いですから、大きなマネーセービングにもなります」と高校のカウンセラーが言っていました。そのとおり!・・・だけど、なんかおかしい・・・。大学に入るのに有利だから、本来ならば大学でやる勉強をたくさんしてしておきましょう・・大学は高いから、なるべく高校でその勉強をやっちゃいましょう・・・。どう考えてもヘンでしょ。大学の勉強は大学でやればよろしい。そのために大学があるんだと思うのですが。大学の勉強は、高校で前倒し。高校の勉強は、中学校で前倒し。中学校の勉強は小学校で前倒しという風潮・・・。そうやって何でも急いで、急いで、そして最後はどうするんでしょう?50歳でお墓に入れるように頑張りますか?
アメリカの多くの州で、小学校高学年ではHigh MathとRegular Mathに分かれて、それぞれの能力に応じた教育がなされます。それはバージニアに住んでいたときも同じでした。ただそれは、ふつうにやっていて、もっとチャレンジングな課題に取り組める子にはそれなりを、もう少しゆっくりとインストラクションが必要な子にはそれなりを与えるというものでした。だけど、このあたりは違うんです。High Mathに入ること自体が目的になっているのです。6年生でHigh Mathに入り、中学校の最終学年8年生では、高校のクラスをとるというコース。6年生でHigh Mathに入るために、みんな塾に通っています。できる子のためにあったHigh Mathが、High Mathのためにできる子になるという、鶏とたまごの関係。
このあたりのアジア人を中心として、みんなやっきになってHigh Mathに入るために頑張るのでそれなりにHigh Math人口が増えたのでしょう。それはそれで、州の標準テストスコアを上げるのにも役立って、学校も喜んでいたのかと思っていたけど、どうやら最近ではその弊害が出てきたようです。この前、下の子が入る中学校の説明会に行ったら、「High Mathに入らなければ大学受験に大きな影響が出るということはありません。数学専攻を考えているというなら別ですし、数字に対する興味が異常に強い、数学のセンスに飛びぬけて秀でているというのならいいですが、そうでないのならお勧めするものではありません」という説明でした。実際、いいと思ってHigh Mathに入っても、だんだんとついていけなくなり途中で問題が出てくるということもあったようです。説明会では、「High Mathに入るのと入らないのでひとつ違いがあるとすれば、High Mathコースでないと、12年生の時点でMultivariate Calculusがとれないことだけです」と。Multivariate Calculusねえ、別に大学に入ってからやってもいいんじゃないですか。。でもきっと、High Mathを目指す人口は減らないだろうな・・とも確信しています。すでに、「High Mat=目標」という図式ができあがってしまっていますからね・・。
LEAN OUT・・・
そんな折、あるMoney誌にこんなタイトルの記事を見つけました: “LEAN OUT“ 最初は、クレジット負債の解消とか、食生活の見直しとか・・なんかそんなかと思いましたが、読み始めたら「今の仕事量や責任を見直して労働時間をカットし、会社が望む道を歩む代わりに自分が本当に大切にするものに時間をかける生活を実現する」という内容の記事でした。American Psychological Associationが行ったリサーチによると、「アメリカで働く人の役半分が、自分に対する会社(雇用主)からの評価が十分でなく、報いが見合っていない」と考えており、自分の仕事場で”Trap”されたように感じている人が多いというものでした。
遠い昔、ビジネススクールに通っていたころ、Human Resource Managementのクラスで学んだことを覚えています。社員がやる気になったり、仕事からやりがいを覚えるための要因は、「金銭的報酬」だけではなく、かえってそれ以外のソフト項目の比重が高いということ。いろんなリサーチがありますが、たとえばひとつの例をとれば、トップ5はこんなんです: 仕事の成果に対しての評価や賞賛、社内のコミュニティーの輪の中にいること、マネージメント側の社員に対する理解や思いやり、雇用の安定など。その次によい給料・・・と続きます。人間は社会的な生き物ですから、人とつながりたい、認められたい、貢献したい、グループの中の一員としてカウントされたい、所属したい、大切にされたい、褒められたいという要求が誰しもあるのですね。それは、会社の中でもコミュニティーの中でも家族の中でも同じことでしょう。そのような要求が会社の中で満たされることが少ないと、たとえ「よい給料」や「責任あるポジション」を譲ってでも、ほかにその要求を満たしてくれる道を求める人や求めたいと思っている人が増えつつあるということのようです。
記事中にはこんな例がありました・・・
44歳の男性。COO(Chief Operating Officer)として、週の60時間以上、時には月曜から日曜まで毎日働いていました。恒常的にビジネス・トリップであっちへ飛びこっちへ飛びという生活で、息子と過ごす時間も限られる生活。数字に追われる生活に終止符を打ち、家族との時間を大切にし自分のパッションを持てる仕事を見つけました。小さなガレッジでビジネスを教える仕事です。6桁だった給料は5桁に下がったけれど、家族とたっぷり時間を過ごせる今、後悔はないといいます。“It’s a great life style.”とこの人。
45歳の女性。病院のラボのテクニシャンとして働いていました。キャリアパス上の次のステップは、マネージャー・ポジションでした。うまくプロモーションされれば、今の給料$60,000が40%上がることになります。よく考えた結果、彼女はこのプロモーションは目指さないことにしました。給料は上がるものの、より多くの責任を課せられる管理職より、現在の、7日働いて7日休むというフレキシブルなライフスタイルをキープすることを選びました。他州に住む家族や親類を訪れる余裕があり、自由になる時間もたっぷりとれるからです。“If I want to sit home and veg, I can.”とこの人。
走り続ける、昇り続けるだけが人生ではないってことでしょうか。あるいは、昇り続けるということが、高い地位や給料を目指すことだけではないということでしょうか。人生のよろこびを再確認するということなのでしょうか。パーソナルファイナンスのお金のことばかり書いてあるMoney誌にこういう記事を見つけたのは興味深いことでした。
でも、やっぱりMoney誌、いきなり仕事を辞めたりしないで、ちゃんと家計のうえで実行可能なプランに沿ってやりましょうとしめくくっています。自分の仕事の将来性を見極めたり、自分のスキルのたな卸しと向上を試みたり、給料が下がるのなら月々の支出を見直したり、収入が一時的に途絶えたときの対処法を用意したり・・・、つまるところ、「食っていかなきゃならない」というやつです。人生のよろこびを追って転職したり労働時間を削減するのはいいですが、自分自身はもちろん家族を養えなくならないようにね・・・ということなんですね。この「食べていく」というのは、本当に大変なことなんだなあと思い知らされます。
次回はこの「食べていく」ことの大変さから話をはじめます。
アジア人の多いとこは、そんなバトルが繰り広げられているんですね。。。私も塾とは無縁タイプなので、ばかばかしいです。
ハンディキャップのある子を育てているだけに、ますますそう思います。
このあたりは、たぶんそのバージニアの真面目な町とかと同じだと思います。
自分アジア人だけれど、そんなアジア人ばっかのとこは、避けたいです。
はい、Cheeさん、私も避けたいです。いつも手に入る日本食をおあずけにしても、アジア的教育加熱のところは逃げ出したいです。でも、当分は逃げ出せないので、自分の心持を変えることで対処しようとしております・・・
いかにもアメリカ社会、競争社会という言葉がぴったりな感じです。先へ、先へ、前倒しして勉強を進めることに必死になって時間や努力を費やして、どういう人間になりたいのかな?と、ふと思ってしまいました。小学生、中学生、高校生という時期は、多感な時期で人間として中身が成長していく時期だと思います。バランスの取れた人間に成長すること(バランスの取れた考え方ができる人)は、何かに飲み込まれたり、大事なものを見落としたり、きづかなかったり、というようなことがないように思います。高い学歴を持つこと、高い収入を得ること、高い地位を得ることが良い人生ですか?と聞かれれば、私の答えは「NO」になります。
turtleさん、私の答えも「NO」です。。ところが、そうわかっていても、周りがあまりに違うノリだと、「いったい、わたしは母親として十分やっているのか。怠けていないか。。」などと自分を疑う気持ちもでてきてしまったりもします。自分の基準を大切にしたいのに、周りの基準とあまりにもずれていると、自分が間違っているのではないかと自分を疑い始めるというか。。実際、「子どもの出来は母親の成果」という認識は浸透しているように思います、このあたりでは。。人間、数値化できるとそれを比べたくなりますが、「バランスのとれた人間」というのを数値化することは難しく、そうするとそれでは「賞」がとれませんからね。。。ははは、ばかばかしいですね。