今週・来週の2週間で、3回シリーズ「お金と時間といのちのハナシ」をお届けします。実は、このシリーズは2012年夏に掲載したものです。直接お金のルールやテクニックには関係しないブログ記事でしたが、皆さんからいろいろなコメントをいただきました。「あ~あの記事ね~!」と思いだしてくださった方は、このブログがとても若い時期からお付き合いいただいているかなり少数派です(ともに歩いてきてくださったことに感謝します!)
実は今回、「お金が勝手に貯まってしまう 最高の家計」という本を出版することになりました(3月24日発売予定です)。その本を書いていて「時間」というものについて考える機会があり、このシリーズを読み直しました。それで再掲載を思いつきまして。。
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ウォール・ストリート・ジャーナルの最近の記事で、こんなのがありました。「今週の数字:結婚のペナルティ」と題して、76分という数字をとりあげていました。労働省の「アメリカ人の時間の使い方についての調査」によると、結婚している人はシングルの人に比べて一日に76分間、パーソナル・ケアや睡眠、レジャーに費やす時間が少ないのだそうです。同誌では、この結果を見る限り、明らかに結婚していない人のほうが自分の時間(“Me” Time)を持っていると報告しています。結婚している人が時間がとられる大きな理由は、こどものケアと家事とのことで、そりゃ当然の結果でしょうねえ。
全3話で「お金と時間といのちのハナシ」と題して、時間とお金のことを考えて見ます。今回は第1話。
結婚のペナルティかあ・・・。自分の時間ねえ。そりゃあ、わたしも一日ゆったり自分のことだけ考えて、ゆっくりおいしいコーヒーをすすりつつ、好きな本でも読んで、何の邪魔もされないで、食べたいときに食べたいもの食べて、寝たいときに寝たいだけ寝て・・・そんな日々を過ごしてみたいものです。とくに夏休みに入ってからは、あっちでサマースクール、こっちで習い事、そっちでプレイデイト・・・こどもたちのエージェント兼、秘書兼、運転手。落ち込んでいれば話を聞いてあげねばならないし、ここはというときはちょっと肩を押してやったり、何かいけないことしでかせば時間をかけて説明せねばならなし・・・。こうしてブログを書いているのも、横でこどもの日本語学校の宿題をみながらですよ・・・ごちゃごちゃ言われると、何を書きたいと思っていたのか忘れてしまいます。もちろん、こどもにかまけてばかりはいられません。ダンナも大切にしないとねえ。家族はバケーションにいったって一緒ですから、そういう意味じゃあ24/7、365日、自分だけの時間はなかなかとれないですねえ、当分は・・・
時は金なり
この格言、英語のTime is moneyを直訳したもので、ベンジャミン・フランクリンの格言だそうです。フランクリンの書いた文書のなかにこうあるそうです:「時は金なりということを忘れてはならない。自らの労働により一日10シリングを稼げる者が、半日出歩いたり、何もせず怠(なま)けていたりしたら、その気晴らしや怠惰に6ペンスしか使わなかったとしても、それだけが唯一の出費と考えるべきではない。彼はさらに5シリングを使った、というよりむしろ捨てたのである」
こりゃ、経済学でいうOpportunity Cost(機会費用:ある行動を選択したために、結果として諦めることになった別の行動から得られたはずの利益のうち、最大のもの)の概念ですね。半日働かなかったのは、働けば得られるはずであった5シリングを諦めることになったわけで、それも十分「怠惰のコスト」である・・・という、きびしいおことば。
たとえば、キッチンの蛇口が壊れたとしましょう。部品を買ってきて、ネットで直し方を学べば自分で直せないこともなさそう。ま、でも慣れていないからきっと5時間くらいかかってしまうかもしれません。プラマーに見積もりを取ってみたら、$300といわれました。ちょうどわたしが失業中で、働けても時給$10のアルバイトしかできないのなら、きっと5時間かけて自分で直すでしょうね。でも、わたしがCEOで時給$500なら、5時間の価値は$2,500ということになりますから、そりゃもったいない。プラマーのお願いするでしょう。
時は金なり・・・時間=金だから、時間もお金と同様無駄にしてはいけません・・ということですね。有効に大切に使いましょうということですねぇ。。
アルバイトの人の1時間は$10の価値、CEOの1時間は$500の価値ってことですか?じゃあ、家事をやった1時間と、こどもの宿題をみた1時間と、自分のために睡眠をとった1時間、映画をみた1時間・・・いくらの価値があるんでしょう。アルバイトの人がこどもと遊んだ1時間と、CEOがこどもと遊んだ1時間って、その人の時間給イコール価値というだけではないような気もしますけど。
時は金とはちがう
時は金なりといいますが、でも、時と金は大きくちがうところもあるようです。
時はすべての人に一日24時間平等に与えられる : 給料が高いひともいれば低い人もいる。ちょっとしたことでたくさんもらえる人もいれば、大変な思いをして働いてもなかなか稼げない人もいる。けれど、時間は、すべての人に一日24時間平等に与えられます。この世に生まれた瞬間、欲しくても欲しくなくても、一日に24時間ずつ与えられのです。
お金はつくれるが、時間はつくれない : もっと働いてお金をもっとつくろうということは可能ですが、もっとがんばって時間をもっと(一日24時間以上)つくろうということは不可能です。泣いても笑っても一日24時間以上増えることはありません。
ファイナンシャル・プラニングはできるが、タイム(生を与えられた時間)・プラニングはできない : 自分がいつ生まれるかはもちろんのこと、自分がいつ死ぬかを人間は知りません。一日24時間は決まっていますが、その一日が何日分あるのか、それは誰も知らないのです。いつ結婚するか、いつリタイヤするかはプランできても、いつ死ぬかはプランできないのです。今自分の貯金がどのくらいあるかはわかっても、あとどのくらいこの世に生きているかは本人でも知ることができないのです。
お金は人にあげることができるが、時間はあげることができない : 「○○さんが大変な手術のため入院しました。これから何ヶ月も入院生活が続くと思われます。みなさん援助の手を・・」という場合、わたしたちはお金を差し出すことは簡単にできます。でも、入院中、○○さんがお子さんの運動会に参加できるようにわたしの時間を5時間差し上げますということはできません。
時はわたしとともにある
誰にでも、1日24時間以上でもなく、またそれ以下でもなく、きっかり24時間平等に与えられる時間。時間はとても貴重なものであるが、この貴重なもの、自分でつくりだすことも人にあげることももらうこともできない。時間はいつも自分と一体。わたしの時間はわたしとともにあるのです。生きている限りこのからだと時間を切り離せないものです。
時間は人にあげることはできないけど、人のために使うことはできます。自分の時間は自分のからだから切り離しては存在できないから、人のために使うということは自分が人と一緒にあって何かを一緒にするということになりますね。あるいは、人がそこに一緒にいなくても、自分の時間を自分のためにではなく人が益を受けるように使うということ。
自分のためでなく人のために使った時間、家族のために家事をした時間、こどもの宿題をみてやった時間、こどもと遊んだ時間。こういう時間はウォール・ストリート・ジャーナルのタイトルにあったように「ペナルティ」でしょうか。 第2話につづく(3/2/2018に掲載予定)。
この内容。私も全く同じことを何度も考えます。
私のブログの読者は、なぜか私よりも10歳くらい年上で、子どもがいなくて、プロフェッショナル職の人か、私と同年代かちょっと年上で、私と同じような悩みを持っている主婦が多いんですよね。
前者だと、おそらくWSJの基準から見ても、レベルの高い人たちですよね。
皆さん、すばらしい社会経験と頭脳があり、生活にも困らず、さらに時間にも困らない、アーリーリタイアメントもできそうな方々です。
我が家は、そんなの全然無理です。私は自分の時間はこんな夜更けです。トイレに行く時間もないです。
でも、家族でワイワイ、というかギャーギャー、ベタベタ、いろいろありながらがエンターテイメントですから、ある意味それが天国。
これ以上何を望む?って思ってます。^^
Cheeさん、いいですね~。。ワイワイ、ギャーギャー、ベタベタ、それって最高の財産!ソロモン王の言葉に、「牛がいなければ飼葉おけはきれいだ。しかし牛の力によって収穫は多くなる。」というのがありますが、散らかった部屋を見ながらそうだそうだと自分をなぐさめております・・・