友人がTED Talkでのある人の話を送ってくれました。2015年に出たもので多少古いのですが、その内容の重要さは今も変わりません。What makes a good life? Lessons from the longest study on happinessと題されたこのスピーチ。ファイナンシャルプラニングを考えるうえでも、興味深い内容でしたのでご紹介させてください。
Harvard Study of Adult Developmentというプログラムのディレクターであり心理学者であるRobert Waldingerという人のスピーチでした。このHarvard Study of Adult Developmentというプログラムは長い歴史があり、1938年に開始してから、開始時に選ばれた人々を長年の間フォローし続け、その人たちの人生での幸福度や健康について記録をとってきました。1938年に選ばれたフォロー対象の人々は、268人のHarvardのソフモアの学生と、456人のボストンのインナーシティ(インナーシティという言葉は、しばしば、郊外の邸宅に住むような比較的裕福な層の対極で、市内のアパートなどの集合住宅に暮らす低所得者層を指して使われます)で育った12歳から16歳の少年たちです。
これらの人々の結婚生活の質、仕事に対する満足度、社会的活動などの要素を含む人生の幸福度についての調査は2年ごとに、そして胸部X線、血液検査、尿検査、心電図などを含む健康についての調査は5年ごとに行ってきました。このようなリサーチが、これほどに長くの間、同じ人々をフォローし続けたのは他には類がないそうです。
70年以上続いたこのリサーチですが、ここまでにはっきりした明確な発見は、よい人間関係が人を幸福にしまた健康にするということでした。
Robert WaldingerのTED Talkはこちらでご覧になれます。
幸福の3つのポイントとは。。
人間関係
家族、友人、コミュニティに対し密な関係を持っていると回答した人は、より幸福であり、また健康であるということがわかりました。またこれらの人はより長生きするという結果でした。反対に、孤独であると回答した人は幸福度が低く、同時に精神的だけでなく肉体的にも健康度が低いという結果でした。孤独は、睡眠や心の安定など精神的機能にマイナスの働きがあり、それがさらには病気や死などにつながるという図式が浮かびあがりました。
人間関係の質
人間関係は関係があるかないかだけではなく、その質が影響することがわかりました。結婚している人では、常に言い争いがあったり、愛情の度合いが低いような場合は、まったく結婚していない人に比べて、より幸福度が低いという結果でした。よって関係があればいいというのではないということですが、しかしながら、この部分に関しては、ある程度、年齢による差があるということもわかっています。
たとえば、20代においては、幸福度に対してより重要なのは、人間関係の量(関係の数)であるのに対し、30代においては、より重要なのは関係の質であるという結果でした。
安定した補い合える結婚
人間関係において人とつながっているということは、健康に対してよい影響があるだけでなく、認知面での健康状態にも関係することがわかりました。離婚や、別居、その他の深刻な問題がないまま50歳を迎えた人は、その後の人生での認知テストにおいてより成績をがいいという結果でした。結婚が、認知症などの問題を低下させるように働くことはこれまでの研究でもわかっています。
私たちの社会は、幸せを考えるとき、金銭的な財や仕事や地位などに多くの重きを置きますが、この70年以上もの間をかけて行われた研究結果では、そのどれでもなく、家族、友人、コミュニティでの人間関係に重きを置いた人がより幸せであるということを物語っています。
この研究は、Harvard大学の学生とボストンのインナーシティの青少年というある意味で社会的に両極端にあるような人たちを対象しています。財にしても、学にしても、持つものと持たないものという対照がそこにはあるように思いますが、人がどれだけ幸福であるかを考えるとき、この要素がまるで語られない、つまり統計的に幸せを決定する要素ではなかったことは興味深いことです。
ファイナンシャルプラニングは、自分に与えられた財を責任をもって使うことで、自分の分相応であり、自分に許された範囲内で、人生を楽しみよりよく生きることを実現するものだと私は考えていますが、幸せに生きるためには、たとえお金があったとしても人間関係が抜け落ちていてはならないということなのですね。幸せなリタイヤメントプラニングのためには、お金を投資するだけでは不十分で、人間関係に投資をせねばならないということです。お金がたくさんあって金銭的には豊かな老後であっても、人間関係という要素が抜けていれば、肉体的命はあってもこころは死んでいる状態ということになりかねません。
聖書のことばを思い出しました。。。
一切れのかわいたパンがあって、平和であるのは、
ごちそうと争いに満ちた家にまさる。
(箴言17章1節)